才能の迷信


 レッスンしていると結構、才能のあるなしを心配される方が多い。ワタシも10代の頃はそうだったので、よくその気持ちもわかる。音楽の道に足を踏み入れようとして、でも才能がなかったらどうしよう、という不安。才能というのは明確な指標がないだけに始末が悪い。自分を疑いだしたらきりがない。

 世間で言われる音楽の才能というのは具体的にどういう事を指すのだろうか。音感、身体的能力、集中力といったトコロだろうか。絶対音感信仰は根強いが、実は世間で思われているほど音楽には絶対音感は必要でない。あるに越したことはないが、トレーニングされた相対音感があれば音楽には十分である。

 また音楽を聴く力は耳の能力という身体的な要素をも越える。
 世界には耳の不自由なマリンバ奏者さえいる。テレビの特集で拝見しただけで、詳しいことはわからないが、彼女は音を振動として感じ演奏するそうだ。音が空気の振動であることを思えば、そういうハンディがあっても音楽を聴くことができる人もいるのだ。逆にそうしたハンディを乗り越えるのにかけた時間は、普通の人には得られない素晴らしい財産となるのではないかと思う。耳が不自由になった晩年のベートーベンが若い頃に比べてたくさんの傑作をモノにした事も興味深い。

 だからというわけではないが、私は経験上、才能というのはあまり音楽に関係ないように思う。結局、才能の違いというのはスタート地点が違うだけで、時間をかけた努力で十分に埋め合わせができる。同じ人間であればその能力は大差がないわけだ。

 いわゆるコンサートピアニストとして世界にデビューするには、コンクールの年齢制限、音楽業界のプロデュースの慣習からして、若い頃から十分なレッスンを積む必要があるだろう。
 しかし、人が音楽を一生やっていく事に、年齢制限はない。始める年齢も世間で言われるほど重要ではない。

 私の知り合いに40過ぎでサックスを始めた紳士がいる。彼はジャズが大好きで何十年も聴いていたので、彼がサックスを始めたときには、もうすっかり自分が出したいサックスの音色のイメージが出来ていたのだ。技術的なトレーニングは「こうしたい」というイメージがあると、あっという間に成果がでるものだ。彼はサックスを初めて数年の今、本業の傍らプロミュージシャンとの共演を重ねている。

 むしろ音楽に重要なのは、そうしたやりたい事へのイメージに加え、その人の性格や考え方だ。
「こうみせたい」という見栄ではなく「こうしたい」という欲望に誠実である事。
自分の出す音をありのままに素直に聴ける心。
必要な練習を考える工夫する心。
じっくりと一つの課題をこなしていく集中力。
音楽のジャンルにとらわれる事なく様々な国の音楽を知ろうとする心。
様々なジャンルの音楽を否定することなく学ぼうとする謙虚な心。
そして他の人の音楽を理解しようとする想像力。

そして音そのものから学ぶ謙虚な心。

 そうしたオープンで誠実な態度で音楽に向かえば、きっと音楽はその扉を軽々と開いてくれるだろう。これから音楽を演奏してみたいと思っている人たちには、才能とか年齢とかあんまり気にしないで無心で楽しんで欲しいと思う。そうして得ることの出来るものは、人生の大きな糧になるに違いない。

(文責・山口)






ひばり音楽教室は埼玉県越生町にある、ジャズピアノと即興演奏を中心にした音楽教室です。

2006年12月末にひばりケ丘より移転しました。







 レッスンをする事は私にもとても有益なのです。レッスンを通じて私の感じた様々な雑感をエッセイ風にまとめてみました。

・才能の迷信(2005/11)


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